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由緒

御祭神

伊曽乃神 【天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命】

由緒

第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。

命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが当社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。

昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には浩宮様(現天皇陛下)も御参拝されました。
 

神紋御所車

 

年表

成務天皇七年(137年) 創祀

淳仁天皇天平宝字六年(762年) 朝廷より新羅遠征の為の奉幣祈願あり

称徳天皇天平神護元年(765年) 伊豫国で始めての神戸(かんべ)十烟を受く

称徳天皇天平神護二年(766年) 我が国で始めての神位従四位下を叙せられ神戸五烟を加えられる

清和天皇貞観十三年(871年) 名神大社に列し祈年新嘗の官祭にあづかる

醍醐天皇延長五年(927年) 延喜の制の名神大社

崇徳天皇永治元年(1141年) 神格正一位に極位する

土御門天皇建仁元年(1201年) 神領三百六十町 社運隆盛

後深草天皇建長七年(1255年) 封戸田等六町六反 国庁田租を免ず

伏見天皇正応年間頃(1290年頃) 凝然(東大寺学僧)与州新居系図を作成する

天正十三年(1585年) 秀吉の四国征伐により兵火に罹る

寛文十年(1670年) 西条松平頼純藩主社地を寄進す

昭和十五年(1940年) 国幣中社に列格

昭和二十七年(1952年) 与州新居系図が国指定重要文化財となる

昭和五十七年(1982年) 浩宮様御参拝される

平成二年(1990年) 御昇格五十周年記念事業完成